米国コロンビア大学のアンジェラ・クリスチアーノ博士はJAK阻害剤の脱毛症への臨床試験など、精力的な活動をしている注目の女性医師です。豊かな黒髪が大変印象的ですが、実は円形脱毛症と戦っていると衝撃の告白をしています。

コロンビア大学アンジェラ・クリスチアーノ博士
Source:https://www.dermatology.columbia.edu

近年脱毛症の研究は、薬の開発や幹細胞治療に至るまでさまざまな手法が試みられ、当サイトの『海外ヘアニュース』でも折を触れてお伝えする予定です。ところが海外でも日本でも、企業や大学で行われている研究をリードするのはほとんどが男性。

そんな中コロンビア大学のクリスチアーノ博士は脱毛症研究の一番の期待の星、といわれているのです。博士の写真を見ると誰でも「なぜこの人が脱毛症の研究を?」と疑問を抱くことでしょう。私もそうでした。見てわかるように、これ以上ないというほどの豊かな髪の毛の持ち主で、しかも女性。この人が業界で一番注目されているとはにわかに信じがたい、と思うのは自然なこと。

クリスチアーノ博士の研究だけでなく経歴にも興味が出、調べているうちにあるインタビュー記事に辿り着きました。そこで博士が円形脱毛症に長年悩んでいると知った時の驚き。と同時に博士がこの研究に献身的ともいっていいほど没頭している理由に納得がいきました。

皮膚科医として歩み始めたとたんに円形脱毛症を発症

クリスチアーノ博士は30歳になった1996年、人生の転機がありました。医師になるための研修が終わり、皮膚科医としてのキャリアを始めると同時に離婚。さらにコロンビア大学で働くためにニューヨークへの引っ越しも重なり、ストレスがピークに達していた時期でした。

“医師として働き始め半年がたった頃、髪を切りに行った時、ヘアスタイリストに「アンジェラ、後頭部に髪の毛のない箇所がいくつかあるけど、生検でもしたの?」と。私は「一体何のこと?生検なんてしてないわよ。」と答えました。でも少し気になったので翌日近所の人に「ちょっと髪の毛が抜けているところがあるみたいなので、見てもらえませんか?」と頼んだのです。その人は「Oh my god!」と絶句。大きな円形脱毛箇所が3つも見付かったのです。

「そしてその日から、すべてが始まりました。」

毛髪に関するデーターベースがない

博士が第一に思ったのは「皮膚科では、毛髪に関することは研究し尽されているはず」、と。「ところが調べ始めた途端、毛髪に関する遺伝子のデータがないことに気付きました。ほんとうに全くなかったのです」。皮膚科医であると同時に遺伝子学者でもある博士は、その事実に愕然としました。

「そんなことあり得ない、今や世界のどこでも遺伝子研究がこれだけ進んでいるというのに誰も毛髪の研究をしていないなんて。信じられませんでした。」

このことをきっかけに、博士はAGAや円形脱毛症のような大きな課題に挑むよりも、まずは遺伝性が既に確認されている家族性脱毛症の研究から始めることにしました。

家族性脱毛症は家族の中でどういう風に遺伝しているのかハッキリしています。影響を与えている遺伝子を特定するのは比較的簡単だと仮説を立て、全身が脱毛するまれな症状に苦しむパキスタンの家族を研究対象にしました。

思っていた通り一つの遺伝子に異常があることを発見。発表された1998年当時、この画期的な研究結果は大変話題になりました。世界で初めて脱毛症に関連する遺伝子が特定されたからです。自身が円形脱毛症と診断されてからわずか2年目のことでした。

http://newsroom.cumc.columbia.edu/blog/1998/01/29/columbia-researchers-identify-gene-for-inherited-baldness-4/

偶然のひらめきから遺伝子を特定

では博士はどうやって、数ある遺伝子からたった一つを短期間で特定できたのでしょうか?実はこの研究は当初何年もかかるといわれていました。一つだけ見付ければいいとはいえ、人間には2万2,000個余りの遺伝子があります。

「遺伝子の解析を進めていたある日、ふといろいろな臨床試験に使われている毛のないマウスのことが頭に浮かんだのです。もうこれしかない、と思いました。」

「化粧品や医薬品などの臨床試験に使われる毛のないマウスは、突然変異により発生した先天的に毛が生えないマウスで、これを交配して世界中で使っています。異常のある遺伝子がすでに特定されていました。ということはパキスタンの家族もこの遺伝子を調べればいいのでは?と思い付いたのです。」(注:人間とマウスの遺伝子は99%が同じ)

その後博士の思った通りの結果が出て、わずか2年で一つの遺伝子を特定。世界で初めて脱毛症に関連する遺伝子の発見となりました。

母と祖母も円形脱毛症

実はクリスチアーノ博士の円形脱毛症は明らかに遺伝で、ともに美容師だった母と祖母も若いころから脱毛症に悩んでいました(家族内で遺伝する確率は約8.4%)。

この背景が、遺伝子の解明に取り組んだきっかけになったのは想像に難くありません。ただし博士の脱毛症はパキスタンの家族の例とは違い、一つの遺伝子に異常があるタイプの全身脱毛ではなく、いくつもの遺伝子が影響を受けた結果の一般的な円形脱毛症なので、より長い時間がかかることは覚悟しています。

円形脱毛症が精神状態にまで影響を与えていた時、「なんとか正気を保っていられたのは実験室にいる時」でした。

ただ皮膚科医にして遺伝子学者のクリスチアーノ博士をもってしても、なかなか遺伝子研究は進みませんでした。博士が研究を始めた1996年当時は、人間の遺伝子の解明は全部済んでいなかったのです(ヒトゲノム計画は1990年に始まり2003年に完了)。

これに加え、脱毛症は見た目の問題で生死には関係ないことから、製薬会社や国などから研究になかなかお金が出ません。遺伝子の解明もゲノム計画での結果が出るたびに更新することしかできませんでした。それでも時間を無駄にしたくない博士は、結果を待っている間に発毛のサイクルに関する遺伝子の解明を進め、6つ見付けるという成果も出しています。

特定の病気と円形脱毛症の関連を発見

その後博士は国際円形脱毛症財団(NAAF)の協力を得、円形脱毛症患者の遺伝子を集めデータベース化し、ヒトゲノム計画からのアップデートがある度に遺伝子の解明に取り組めるような体制を整えました。

そして2008年、ついに世界で最初のヒトゲノムにおける、円形脱毛症患者の研究の成果を発表。

この研究では1,000人の円形脱毛症患者と1,000人の脱毛症のない人の遺伝子を比較するという方法を用い、139にも及ぶ脱毛に関する遺伝子マーカーを発見しました。

博士は脱毛症と病気の関連についても同時に解析を進め、意外な結果にたどり着いています。長年円形脱毛症は、乾癬や白斑のような皮膚症状の出る自己免疫疾患に近いと思われていたのに、解析の結果脱毛症とこれらの病気に共通する遺伝子は発見できませんでした。

脱毛症と関係があるのは皮膚症状の出る自己免疫疾患ではなく、関節リウマチ、1型糖尿病、セリアック病(グルテンにより自己免疫反応を引き起こす)だったのです。

「この発見に心躍りました。というのもこれらの病気には既に処方箋がいくつか承認されているからです。通常薬の開発には長い時間が必要ですが、処方箋として既に安全性が確立されている薬であれば、その後の臨床試験の期間がかなり短くなる可能性があります。さらにコロンビア大学には糖尿病とセリアック病に関しての大規模なクリニックもあるので、蓄積しているデータを使えるというアドバンテージが。」

「国際円形脱毛症財団の学会で若い人を前に、脱毛に関する遺伝子の発見について発表した時、話し終える前にスタンディングオベーションが始まり、私は涙をこらえることができませんでした。」

「学会が終わった後何人もの人に『こんなこと言ってはいけないのかもしれないけど、あなたが円形脱毛症になってくれてよかった』と言われました。私は彼らの意味することが痛いほどわかるのです。私のような医者がこの病気にかからなければ、円形脱毛症の研究はなかなか進んでいないと思います。遺伝子学者が外見上の病気のために時間を費やすことは普通ないですから。」

JAK阻害剤が円形脱毛症に効くことを確認

特定の病気と脱毛症の関係がはっきりしたことから、博士は血液がんや関節リウマチを引き起こす酵素、JAKをブロックするJAK阻害剤を使い、臨床試験を実施。12人の患者のうち9人に効果があり、毛髪の再生率は92%と期待通りでした(エール大学とスタンフォード大学の共同研究でも同様の結果が)。

この結果が注目されたのは、毛髪の再生率もさることながら、対象患者の症状が中~重度であったことです。既存の治療法では症状が長引いたり脱毛範囲が広いと、選択肢が限られていました。

医薬業界では素晴らしい成果をあげたクリスチアーノ博士が、JAK阻害剤の臨床試験をさらに進めるものと予想。ところが驚くことに、博士はJAK阻害剤に関する知的所有権を新興の製薬会社に売却し、早くも次の研究に取り掛かり始めました。

画期的な発見をしても、財源がなければ臨床試験が進まないと判断した博士は、資金力のある会社にその開発を委ねたのです。

まとめ

クリスチアーノ博士の新たな研究とは、幹細胞技術による毛髪の再生です。マウスからならいくらでも毛髪の再生ができる段階にまできており、2012年にはラプンツェル社という自身のバイオテクノロジー企業も設立しました。

既に人間の皮膚を移植したマウスで(人間の)幹細胞を使った発毛にも成功していますが、まだ毛の量と質が満足いくものではなく、これからの研究と改良が待ち望まれます。

今後もクリスチアーノ博士の研究の成果が発表され次第、このサイトで逐次報告していく予定です。業界で一番注目されている医師の今後の活躍がますます期待されます。